かわいいってなあに

カウンセラーから聞いた話です。

 

ある実験がある。

手に「ネイルアートをした女子」と、「ネイルアートをしていない女子」にそれぞれティッシュ配りをさせた。

 

その結果、「ネイルアートをした女子」の方がティッシュを多く配る事が出来たそうです。

 

カウンセラー曰く、ネイルアートを施す(オシャレをする)事によって笑顔が増えたり、自信が持てたり、その結果多く声をかけたり人にうまく接したりできるようになるという事だろう、ということだった。

 

私にはとてもよくわかる。

私も毎月ネイルサロンに通ってネイルをしています。担当のネイリストさんはとても技術力の高い人なので、毎回とてもかわいいネイルを施してくれます。

爪は毎日見るもの、食事も喫煙も仕事中も、ずっと目に入る。

その度に嬉しくなる、私の爪ってかわいいな、最高!っていう気分になる。

ふっと癒されるような気分になります。

 

ファッションだって同じこと。

自分が納得いっていない服、ダサい服を着ていたり、

メイクを失敗していたりすると途端に自分がダメな存在のように思えて(これは私の自己肯定感の低さの問題でもありますが)一刻も早く家に帰って閉じ篭りたくなる。

でも、ファッションがバッチリキマっていたりするとその日はよく笑えて、自分から話題も提供できて、人と一緒にいるのがとても楽しくなる。

 

外に出たくなる。

人と話したくなる。

オシャレなカフェにも入ってみたい。

 

「かわいい」を身に着けることで、得られる経験は圧倒的に増えるんじゃないか?

そう思うと、私は「本を読む」とか「美術館に行く」などのインプット要素の一つとして、とても重要だと思う。

そして、時には沈んだ感情も引き上げてくれる薬にもなる。

 

多くの女性(時には男性)にとって「かわいい」とはとても重要な事だ。

 

時にはちょっと痛手になっても、やはり「かわいい」は大切な事だ。

だから私はかわいいものを大切にしたい。

かわいいという武器を持って、生きていきたい。

 

かわいいって、こういうものだ。

 

 

島田

さくらももこのエッセイ

私は中学生の時からさくらももこのエッセイが大好きでよく読んでいた。

 

ゆるいのにどうしたらこんなに情景の浮かぶ、素敵な 文章が書けるのだろうととても不思議に思う。きっとももこ先生は、目に見えるものが全て面白く映っていたんだろうなあ、夕焼けや雨や石ころや木々に感動して。

 

ももこ先生のエッセイを読むと、「ああ、そうそう。その気持ち、わかる。」と思うことがたくさんある。

小さい頃、とにかく動物を飼ってみたかったり、親が喜んでくれるだろうと思ってやったことで失敗して怒られたり、小狭いベランダや庭をなんとか本に出てくる素敵な空間に変えてみたかったり。

それは、というようなことを私もしたからだ。

 

ももこ先生の作品には綺麗な景色や、キラキラした宝石がよく出てくる。

私も憧れていた。でも、憧れていた事は覚えていても、どう憧れていたかは忘れてしまった。当時、綺麗に思っていた夕焼けや木、花、雨、それにどう感動していたかは忘れてしまった。今はどうとも思わない、むしろ煩わしかったりする事もあるくらい。

 

でもさくらももこの文章を読むと、それらがどこからかジワジワと浸み出してきて一つの章を読み終える頃にはすっかり思い出している。ああ、そうだった、こんな気持ちだったんだと思っている。

読み終わった後、何かを美しい、面白いと思っている。

その気持ちは残念ながら長くは続かないのだが、だからこそ何回も読み返す。

 

私はいつも何かにヒントを得ようと作品に挑む。(趣味のミステリは別、この面白さは別に書きます)

映画も漫画もエッセイも美術展示も、何か自分の人生にヒントを与えてくれるものはないかと思っている。だから映画や小説 など、そういうものにはお金を惜しまない事にしている。

 

「ヒント」に助けてもらいたい、とは思っていない。

ただただ、自分の人生が面白くならないか?

自分の理想の人間に近づくために何か取りこぼしているものはないか?

他の人は何に心動かされているんだ?という好奇心もある。

 

さくらももこのエッセイは、そんな私にぴったりだ。

ももこ先生が面白いと思った事、美しいと思ったもの、独特の観点から描かれるその描写は私にいつも「大事なもの」を与えてくれる気がするのだ。思い出させてくれる、という言葉も当てはまる。

 

今回は「おんぶにだっこ」を買った。

今年初めから仕事に復帰し、いろいろあって本屋に行けずにいたらいつの間にか出版されていた。でもきっとそういうのも、「読むタイミングは今だぞ!」って感じで与えられている気がする。神様なんか大っ嫌いだが、そういう巡りあわせみたいなものはあったりして、と思う。

 

 

前の記事でも書いたが、現在抑うつ状態でいつ仕事に復帰できるかわからない。

その間、出来るだけ「ヒント」を得たい。

 

 

(画像貼れませんでした、うまく紹介するにはどうやるの?)

https://www.amazon.co.jp/おんぶにだっこ-集英社文庫-さくら-ももこ/dp/4087458776/ref=sr_1_1?adgrpid=57421372310&gclid=EAIaIQobChMI87qJntre5QIViKqWCh2ifwDpEAAYASAAEgIddPD_BwE&hvadid=338547659734&hvdev=c&hvlocphy=1009461&hvnetw=g&hvqmt=e&hvrand=9640435602322646085&hvtargid=kwd-496331067022&hydadcr=4076_10899478&jp-ad-ap=0&keywords=さくらももこ+おんぶにだっこ&qid=1573356644&sr=8-1

 

 

島田

11/9 今日あったこと 日記

今日は朝からメンタルクリニックに行ってきた。

2時間くらい話したが、結論「抑うつ状態」で本来なら「年内いっぱいは休職すべき」とのことだった。そうしないと、また前のように戻るだけだと。

自傷はしないだろうけど、長期的に勤めることはできないだろうという事だった。

 

しかし、私は彼氏にも親にも現状を伝えていない。

 

2ヶ月くらいは働かなくても生活はできるが、社会において「働いている」ということのアドバンテージ?社会的役割はかなりのパワーを持っていて、それができて初めて「まともな人間」として認識してもらえる。私は、親や世間にどう思われてもいいが、彼氏にだけは「まともな人間」として認識してほしい。普通の女性として、せめてメンタルに問題を持っていても普通に振る舞える害のない優しい女性、として認識されたい。

 

それには「働いている」事が絶対必要だと思うのだ。

それに、デートにだってお金がいるし、可愛くいるのにもお金がいるし、、、

 

もう「健常者」になるのは無理だ。

でも「社会人」にはなりたいのだ。

 

無理をしてでも働くか、でもそうしたらまた引きこもりに逆戻りか。

認知機能がやっと復活してきた時なのに、また落ちてしまった(自転車を買うのにも、説明をされてまっっっったくわからなかった、脳でキャッチできなかった、と書いたら伝わる?)

 

働いている自分が理想だ。

現実は外に出られない。

 

無理を押して働くか、悩む。

でももう、「働いていない」自分は嫌だ。

 

認知機能さえ戻れば働きたいのだけれど、メンタルコントロールをして認知機能を戻すには少し時間がかかるのはわかってる。どうしたらいいのかわからない。

どうしよう。

どうしよう。

 

島田

病気とは曖昧なものでありまして

私は最初「気分変調症」と「境界性パーソナリティ」を併発していると診断された。

自分でお金を稼げるようになった22歳の時、初めてかかった精神科でだ(私はママの方針で病院に行かせてもらえなかったので)

 

中学生の時、精神科に行きたいと言ったら罵倒された。

「お前にそんなことを教えたのは誰だ!」と叫ばれた事を覚えている。

 

そんな状態の私を見て担任の先生がわざわざ自宅に来て、「病院に見せたほうがいい」と言ってくれたが、叶わなかった。ちなみに、妹もひどいアトピーを発症していたが、「お祈り」で治ると思っていたので、彼女も病院に行かせてもらえず、今も人に体調不良を隠すようになってしまったらしい。

 

「気分変調症」とはまだ自我が確立されていない青年期に確定はできないが、何らかの疾患はある、ということでつけられると当時の医者からは聞いた。

「境界性パーソナリティ」の方は自傷等の症状が現れていたためつけられたのではないかと思う。実際、私の腕には傷があり、その他の症状も境界性パーソナリティ(以下ボーダー)そのものだったため、その後4年間ボーダー女として生きることになった。

 

あらゆる事をしていたが、先日の記事↓

 

shimada.hateblo.jp

で書いた通り、このことがあってから自傷等はしていない。

 

 その急激な変化に、去年当時の担当医は「ボーダーならこんな急激な回復はしない。別の病気かもしれない。」と言って、私に「発達障害」のテストを受けさせた。

結果、「アスペルガー学習障害の疑いあり」→二次障害を併発していたせいでボーダーと誤診されたのではないか?とのことだった。

 

私はそのテスト直後、地元に戻ることになっていたので自殺未遂をした当時の担当医のところへ舞い戻ることになった。担当医は23歳の時の、私が最も病状が重かった時期、自殺未遂をした時の担当医にまたお世話になることになった。

「特別な患者だけ」という土曜日診療、私の他に一人か二人いるらしいが2時間近くかけて話を聞いてくれる。

 

出来るだけ毎週通っている。

そして、その過程で改めて発達障害のテストを受けようという話になった。ウェイズだ。その結果、私は「アスペルガー」ではなかったが「学習障害」ではあった。

そして、学習障害の二次障害でボーダーのような症状が出ていただけで、実は「愛着障害」かもしれない、とも言われた。

 

愛着障害」、簡単に言えば「幼少期に、適切な愛情と安心が得られなかったため発症する障害」だ。心当たりがありまくる。

 

カルトをやっているママを「パパ」や「ご近所」や「おじいちゃんおばあちゃん」から守るために嘘をついたり、ママがカルト宗教施設でお祈りしている間に妹の世話をしたり、私には一番最初に生まれた子供としての仕事があった。

ママを世間から守らねばならなかったし、同時にママの言いつけを守らなければならなかった。

 

その話はまた書くとして、、、

 

病名とはこうして変わっていくものだ、医者の腕もあるし、ボーター患者は手に負えないので薬を出して終わり、なんてことも珍しくない。いわゆる「3分診療」ってやつだ。

私は幸運にも真剣に向き合ってくれる医者に出会えて、こうして色々な可能性を考えてもらえる環境にある。少しずつ寛解に向かっている気もする(ここ1ヶ月は死んでいますが、、、)

 

あと少し休んだら、また頑張って働いて前向きに生きていきたい。

もし病名に不安があったら、一度相談してみてください。

 

うまく帰結できなかったな、笑

病名は変わることもある、あやふやで曖昧なものですよ。

 

 

島田

 

11/7 なんのとりとめもない、長文の気持ちメモ 追加

10月はメンヘラ達にとって、非常につらい期間となったようだけれど、私はといえば、もちろん大打撃を受け現在戦闘不能となっている。

 

 

「ただひたすら辛い研修に耐えていたらメンタルを壊した」、と思っていたがどうやらそれに加えて「季節の変わり目」もあったらしく、一年前に戻ったようにベッドから起き上がれず、食事も適当に済まし、ただひたすら寝ていた。15時間くらい寝て、漫画を読んで、また寝るという生活に戻ってしまった。

でも、本当に起きていられなくて。

 

でもさっき、レキソタン1シート飲んだら一瞬元気になったのでその隙に溜まっていた洗濯、洗い物、片付け、掃除機を済ませた。うん、土曜日から彼氏来るから。

浴室乾燥機で乾かしているけど、追加で洗い物があるのでまた洗濯をしないと。

 

彼氏のウィスキーをちょっといただいているんだけど、これくらいならぼーっとするだけで済むのか。彼氏ごめん、補充はしておくからさ。

 

今日はちょっと遅くまで起きていても許されるだろう、明日をどう過ごすかはわからないけれど予定はないし、本が読みたいけれど(紅蓮館を読んでいる途中だし、さくらももこのエッセイも買った)家にいるとなかなか集中できず、暗い部屋の中で溶けていく

だけなので、手書きメモもしたいし医者に言うこともまとまってないから、きっとどこかのカフェに行くのかもしれない。

 

今日は死んでいた。

死んでいたが、動いていた。

もう少しだけ休みが欲しいのに、そしたらうまく行くかもなあって思うのにそれも許されないんだよなあ。働くって、自殺です。みんな自殺したいですか?

 

自殺したいのに。縄がない。

縄があると悲しむ人がいる。

 

***

11/8 追記

「出向してから休職するか、就業前に休みを伸ばして仕事に備えるか選んでくれ」とお願いしたら、少しだけ休みが伸びた。(産業医の診断は受けろとの条件付きで)

 

明日、自分の担当医にも相談して本格的に休職するのか、休みを伸ばすのか、どうするのか決めることにします。担当医は「俺が診ている間は、必ずなんとかするから安心してくれ」と言った。とても心強い。閉鎖病棟にいた時も、わざわざ休みの日に面会に来てくれるような先生だった。

 

少しだけ猶予をもらったので、あと少しの時間休みたい。

安心を。

 

島田

 

 

 

 

私がメンヘラをやめた理由③

マンションの前の駐車場、踏切近く。

メンヘラシェアハウスを始めて一週間ほど経った夜。暴飲暴食のち嘔吐、薬漬けで毎夜ラリパ(市販薬や処方薬を使ってラリったパーティをすること)を開催し、ツイキャスで配信、金を使いまくり、ルールもモラルもない、瀉血で血塗れの生活。

 

ポンと浮かぶ疑問。

「私はここにいていいのか?」

 

答えは、帰ってこい、だった。

 

みんな自由だ、干渉してこないし、ここには社会とか大人とか人間とか命とか、そういうワードは出てこない。私たちが最も嫌っている敵は、ここにはいない。

 

でも、それだっていつまで続けられる?

イヤだ!お前らなんか嫌いだ!知らない!そういって逃げられるのはいつまで?どこまで?

 

なにより、私は嫌気がさしていた。

 

たしかにここには敵がいないけれど、「一つの個体として持っているべきもの」を持っている人間は一人もいない。みんな足りなくて足りなくて、癇癪を起こしているだけなのだ。

私は今現在、その中の一人だ。

 

それでいいのか?人間として、愛情を持って接したり、食べ物を美味しいねと笑ったり、美しいものを見て感動したりしたくはないか?

 

みんな優しい。

それは確かだけれど、もっと、なにかを共有したくないか?それは薬とか血液じゃなくて、もっと他のなにかじゃないか。

 

仕事先から「いらない」と言われてヤケになっていた。それまでもずっと自分なんかいらないと思い続けてきた、自殺未遂もした、はやく死にたかった。

現在を見られなくて、薬をたくさん飲んだりした。

自分には価値がないと思っていたし、褒められても全部お世辞や社交辞令だと思っていた。

 

でも、いくらいらない自分でも、もうこの中にいるのは無理だと思う。

だって、正直、「こうなりたくない」と思ったから。

 

メンヘラでいることはもうやめよう。

 

ここは福岡、知らない街で好き放題するのは楽しかった。たぶんこの時間がなかったら消化しきれなかったけど、もう十分楽しんだじゃないか。

全部消えたわけじゃないけど、私がありたい私は見つかった気がする。

 

そう思うと、ストンとなにかが落ちた気がする。

帰るか。そう思った。

 

それからシェアハウスしていた他の仲間もボチボチ帰り始めて少し経った頃、七月の初めに私は神奈川の自宅に戻った。

 

家主のチェリーは空港まで見送ってくれ、最後はハグをたくさんしてお別れした。

 

私は不要な薬をやめ、だんだんと外出を増やし、読書をして過ごして安定していった。

当時の医者からも、「ありえないほどの回復だ」と言っていた。私はなんとなく明るい気分で、このまま寛解に向かっていったらいいなあ、なんて思っていた。

 

福岡を離れて三ヶ月後、チェリーが自殺した。

 

 

島田