私がメンヘラをやめた理由③
マンションの前の駐車場、踏切近く。
メンヘラシェアハウスを始めて一週間ほど経った夜。暴飲暴食のち嘔吐、薬漬けで毎夜ラリパ(市販薬や処方薬を使ってラリったパーティをすること)を開催し、ツイキャスで配信、金を使いまくり、ルールもモラルもない、瀉血で血塗れの生活。
ポンと浮かぶ疑問。
「私はここにいていいのか?」
答えは、帰ってこい、だった。
みんな自由だ、干渉してこないし、ここには社会とか大人とか人間とか命とか、そういうワードは出てこない。私たちが最も嫌っている敵は、ここにはいない。
でも、それだっていつまで続けられる?
イヤだ!お前らなんか嫌いだ!知らない!そういって逃げられるのはいつまで?どこまで?
なにより、私は嫌気がさしていた。
たしかにここには敵がいないけれど、「一つの個体として持っているべきもの」を持っている人間は一人もいない。みんな足りなくて足りなくて、癇癪を起こしているだけなのだ。
私は今現在、その中の一人だ。
それでいいのか?人間として、愛情を持って接したり、食べ物を美味しいねと笑ったり、美しいものを見て感動したりしたくはないか?
みんな優しい。
それは確かだけれど、もっと、なにかを共有したくないか?それは薬とか血液じゃなくて、もっと他のなにかじゃないか。
仕事先から「いらない」と言われてヤケになっていた。それまでもずっと自分なんかいらないと思い続けてきた、自殺未遂もした、はやく死にたかった。
現在を見られなくて、薬をたくさん飲んだりした。
自分には価値がないと思っていたし、褒められても全部お世辞や社交辞令だと思っていた。
でも、いくらいらない自分でも、もうこの中にいるのは無理だと思う。
だって、正直、「こうなりたくない」と思ったから。
メンヘラでいることはもうやめよう。
ここは福岡、知らない街で好き放題するのは楽しかった。たぶんこの時間がなかったら消化しきれなかったけど、もう十分楽しんだじゃないか。
全部消えたわけじゃないけど、私がありたい私は見つかった気がする。
そう思うと、ストンとなにかが落ちた気がする。
帰るか。そう思った。
それからシェアハウスしていた他の仲間もボチボチ帰り始めて少し経った頃、七月の初めに私は神奈川の自宅に戻った。
家主のチェリーは空港まで見送ってくれ、最後はハグをたくさんしてお別れした。
私は不要な薬をやめ、だんだんと外出を増やし、読書をして過ごして安定していった。
当時の医者からも、「ありえないほどの回復だ」と言っていた。私はなんとなく明るい気分で、このまま寛解に向かっていったらいいなあ、なんて思っていた。
福岡を離れて三ヶ月後、チェリーが自殺した。
島田