友達を大事にするという事

ツイッターによく「しんどい」と書き込んでしまいます。

その時は本当にしんどいのですが、では実際生きて人と接している島田という人間の評価はいったいどういうものか?

 

「明るいね!」「よく笑うよね!」「お話ししていて楽しいよ!」

 

うそお?だっていつもネガティブじゃん。しんどいしか呟かないじゃん。

多少のリップサービスはある、もちろんわかる。あんたってネガティブでつまんないよね、なんて本人に向かって言わない。私も言わない。

 

私には仲の良い同級生が4人います。

その中でもよく連絡を取り、仕事が終わった後ウォーキングを兼ねてお喋りをする女性がいます。前の記事に書いた、大企業でバリバリと働いている彼女です。

彼女は健常者で、家庭も真っ当な暖かい家族に囲まれて育った健全な女性です。

 

美人で気が強く、男社会で戦っている、私の憧れです。

同業者なのでエンジニアあるあるなども話せる(楽しい)

 

そんな彼女が私によく言うのです。

「島田はツイッターではあんな事言ってるくせに、会う時はいつも明るい。話が面白い。頭もいい。出会って十数年、あなたをメンヘラだとも障害者だとも感じた事は一切ない。」

 

これを、会うたび繰り返し言ってくれる。

聡明な彼女の事、いらない人間関係はすぐに整理するような人です。笑

じゃあ、たぶん、この言葉は本当なのかも?もしかしたら、私は本当に明るい人間だったりするかも?そんな事を、言われるたびに思う。私、もしかしてちゃんとした人間に見えてる?

 

私には、人付き合いの中で決めたルールがあります。

それは、「健常者には絶対に、死にたい、つらい、と言わない」事。

 

最初から決めていたわけではありません。

若い頃、友達に甘えすぎていた時期がありました。とにかくつらい気持ちを吐き出したくて、誰かに知って欲しくて、ラインやツイッターで誰彼構わずにぶつけていた事があります。そうすると、当たり前、人は離れていく。

それで失った友達は一人ではない。

 

少し経ってからようやく、気づいた事。

「もし、自分が誰かから死にたいなんて言われたらどんな気持ちになる?」

「増えていく傷を見てどう思う?」

「自分が想像もできないような思いを抱えた人間に、どこまで寄り添える?」

 

やっちゃいけない事をしていたんだ。

 

誰もが受け入れられるわけじゃない。当たり前。それが普通で、そうあるべきだった。

自分を全部丸ごと投げつけるような事が正しいわけじゃない。

投げつけられた方はたまったものじゃないよね、だってそんなの受け入れられないよ。それは私だってそうじゃない。楽しく話したいのに、死にたいだなんて聞きたくない。

 

でも、じゃあ私のそんな気持ちは私の中だけで消化するしかないのか?

 

結論、そんな事はない。

 

ありがたい事に、そんな事はないのです。

私がしんどいと思った時、もう無理だと思った時、助けて欲しいと思った時、「まかせろ!」と言ってくれる友達がいます。泣きそう。ありがたいありがたい。

泣きながら電話をかけても、電話に出てくれる友達がいます。

元気がない、という呟きを見て「大丈夫か?」と連絡をくれる友達がいます。

 

彼ら、彼女らは私のことを大切に思ってくれている。

もちろん、上記の彼女も私の事をとても大切に思ってくれています。

 

要は、カタチの違いなんだと思います。

 

私のそういった気持ちに寄り添ってくれる人の愛情のカタチ、私といて楽しいと思ってくれる愛情のカタチ、その他たくさんの愛情のカタチがあって私を支えていてくれる。

 

すっごく嬉しい。

私、なんにもできないのに。こんな人間なのに。

 

フォロワーさん達だってそう。

私が元気がないよってツイートすると、質問箱で「元気出してね!」「かわいいよ!」ってメッセージをくれる。会った事もないのに。ありがとう!

 

きっと明日も仕事に行けば満身創痍で帰ってくる。

たぶん泣きながら帰ってくる。

 

ありがとう。

私にできる事はおっぱいの画像をあげる事だけです。笑

それでも、また、たくさんお話をしてね。

 

島田